タラレバはないけれど… “脳障がいを負った時に覚えておきたいこと”

このブログの特性なのか、個別で相談を受けることが度々あります。

その中の半数近くが、お子さんが急性期もしくは急性期明けの方です。

こんなマイナーなブログまでたどり着くのですから、本当に藁にもすがる思いなのだと思います。

子どもが大変なことになってしまってどうしたらいいか…という切実なご相談が多く、毎回本当に心が痛むのです。

こんな経験、自分の子どもだけで十分だと思いますが、悲しいことに日々つらい思いをされている方はいらっしゃいます。

悩まれていることも脳のダメージの程度もそれぞれですし、わたしは専門家ではないので、これまでの経験から答えられることには真摯にお答えしてきたつもりですが、これからもしこのような情報が必要な人のために、少しまとめてみたいと思います。

タラレバはありませんが、もしわたしが息子が怪我した当時に戻れるとしたら…

これをしていたら、結果はまた違っただろうなと思います。

以下のお話は、医師でも専門家でもなんでもない、ただの一母親の意見なので、参考程度にしてくださいね。

そして、医療の進歩は目覚ましいです。

1年2年で、新たな治療法が出てきている可能性もあります。

ぜひご自身でたくさん調べてみてください。

途中でハテナ?なことがあれば、たいてい過去記事に詳しく書いてますので、検索窓から検索してみてください。

“脳障がいを負った時に覚えておきたいこと”

■急性期

24時間酸素投与をしてもらう

そもそも人工呼吸器を使用している場合もありますが、離脱している場合、血中酸素濃度の数値は関係なく、鼻カニューラや酸素マスクでの酸素投与を続けてもらう。酸素中毒を避ける程度であればデメリットはなく、後の高気圧酸素治療までの繋ぎとして治療を続けたい。

・オメガ3を摂取する

非常に優秀な抗炎症作用があり、脳を守ってくれるので、できるだけ早い段階で継続的に摂取をする(海外の事例では急性期の大量摂取で認知が飛躍的に回復した例も)。

急性期は経口ではなく、経管栄養の場合が多いため、主治医に相談して注入の許可をもらう。

・幹細胞治療、臍帯血移植、エリスロポエチンの投与など

疾患の内容にもよるが、できるだけ早い段階で可能な再生医療を受ける。そして、継続できる治療であれば継続する。

・アナット・バニエル「限界を超える子どもたち」を読んで、今後の回復や発達を促すための道を探っておく。

急性期にすること?と思われるかもしれませんが、我が子との接し方触り方をこの段階で知っておく必要があると思うからです。

■急性期明け

HBOT(高気圧酸素治療)を受ける

日本の医療機関では小児(特に乳幼児)の治療はなかなか受け入れてもらえないので、家庭用チャンバーの導入を検討する。医師の監視・管理の元で行うのが理想だが、海外に出向くのにもリスクが伴うため、Dr.Harchにリモートでの数値の設定指導をお願いする。(普通はしていないが、コロナ禍の今だったら可能かも…?コンサル料は高いですが💦)

※外傷の場合、急性期にHBOTを受けるという選択肢もあるようです。

・フェルデンクライスなどのプラクティショナーに継続的に施術してもらう

フェルデンクライス、ジェレミー・クラウス・アプローチ、アナット・バニエル・メソッドなど、脳への働きかけによって発達を促すレッスンをできるだけ早く取り入れて、それを毎日行いたい。(向き不向きもありますが、わたしであれば、ボバースでもボイタでもドーマンでも上田式でもなく、上記のレッスンを取り入れます)

とにかく早い段階から毎日触ってあげることが大切だが、筋緊張が強く、全身過敏な状態では親にもなかなか難しいので、信頼できるプラクティショナーに毎日のように継続してレッスンしてもらうのが理想。

※すぐに信頼できるプラクティショナーが見つからなければ、急性期明けのリハビリ入院の選択肢もありだと思います。

・家で親ができることを学びたければ、Michelle Turner Movement Lessonや、斎藤公子さんのリズム運動を取り入れる。

Movement Lessonはリモートでプログラムを受けることができますし、リズム運動は肢体不自由の子にも十分応用でき、わかりやすいDVDも発売されています。

実は振り返ると一番やっておけばよかったと思うのは、最後の2つなんです。

なんでも早く始めることが重要だと思いますが、息子がお世話になっているプラクティショナーさんの元で、もっと早くそして継続的に(できれば毎日)レッスンを続けていれば全然違っただろうなと…これが一番心にこびりついているんですよね。

積極的治療と比較してみると、地味だし一番基本となるところなので、皆さん後回しにしがちだと思うんですが、直後から毎日続けていたらどうなっていたかな…と。

従来のリハビリも否定はしませんが、脳への働きかけと毎日の継続がとにかく大事だと痛感しています。

そして、できるだけ疲れさせないこと、休ませてあげること。

これも反省点の一つで、息子が頑張れる子だということもあって、ずいぶん詰め込みすぎました。

時にはプッシュも大切ですが、できるだけ疲労のない状態で、快適な環境下で学ぶのが一番効果的です。

なので、プラクティショナーを選ぶ時も、家から近く通いやすいというのも大きな理由になると思います。

必ずしも、”神の手”でなくてもいいのです。

一番大事なのは、子どもとの相性。

例えばリハビリ入院でも、どうもPTさんと相性が悪い、しかも途中で変えてもらえない、などモヤモヤしているのであれば、さっさと退院してしまえばいいとわたしは思います。

時間がもったいないです。

他にも載せたい情報はたくさんありますが、振り返って急性期、急性期明けに知っておきたかったことを書きました。

何度も言いますが、以上は医師や専門家ではない、一素人が集めた情報です。

全ての治療や代替療法などには(そして時々リハビリにも)、リスクが伴います。

わたしの情報だけでなく、全ての情報を鵜呑みにせずに、後悔のないように調べ尽くしてから選択してくださいね。

やることも考えることも多く、胸の押しつぶされそうな毎日かもしれませんが、頑張ってください。

応援しています。

同じ思いは誰にもしてほしくないですが、外傷性脳損傷、低酸素脳症、急性脳症など、誰にでも起こり得て、いつ起こるかもわかりません。

この情報が、いつかどこかの誰かの役に立ちますように。

保育園を選ぶ

息子はこの4月から保育園に通っています。

わたしたちの住む市には、ありがたいことにいわゆる”障がい児枠”のようなものがあって、保護者が働いていなくても、公立私立問わず保育園に預けることができます。

預けられるかどうかは医療的ケアの程度にもよると思いますが(そのために療育園があり、訪問療育があり、社会的に取り残す子どもがないような仕組みになっている)、保護者の負担軽減も含め療育への取り組みは、全国の中でもかなり優秀なのではないかと思います。

だからこそ悩みました。

療育園でもう一年じっくり過ごすべきか、思い切って保育園にチャレンジするか。

一対一で子どもに保育士さんがついてくださる療育園に比べて、保育園ではどうしてもケアが薄くなります。

安心感が違います。

そして丁寧な療育により、感情の機微を見せ始めた息子が、さらにもう一年療育園で過ごすことの意義も感じていました。

その葛藤がありながら今年から保育園に通うことを決心した理由は、息子が同じ年代の子どもたちのおしゃべりや歓声が大大大好きなこと、そして年少さんから入園することで、先生やお友だちとの関係を3年間かけてじっくり築いてほしかったから。

小学校は養護学校に行く可能性が高い息子にとって、目の前でたくさん動いてたくさんお喋りする通常発達の子どもたちと毎日過ごす環境での3年間は、とても貴重なものになるはずです。

そして、それは保育園のお友だちにとっても同じ。

息子のような、身体的にも知的にも重い障がいのある子どもと遊ぶ機会はなかなかないはずです。

その貴重な3年間、できれば息子のケアに臆さず、たくさんの遊びに参加させてくれる保育園があれば、と昨年いくつか見学に伺いました。

息子はNgチューブから水分補給の必要がある医療的ケア児なので、看護師さんが常時在籍している(もしくはそのために新たに人員を増やす)保育園でなくてはなりません。

その時点で私立はなかなか難しく、熱心に受け入れを話し合っていただいた私立園以外は早々に候補から消えて、公立保育園(必ず常勤の看護師さんがいる)が有力となりました。

私立の保育園でも話を聞いてくださるところはあるものの、重心児の受け入れ経験がないところがほとんどで、またこのコロナ禍で見学の制限があるところも多く、隅々まで保育環境を確認したり話し合いができるような状況ではなかったのが残念でした。

それに加えて、わたしたちが住む市の公立園は息子が通っていた療育園との間で保育士の異動が常に行われているため、保育園にも療育経験のある保育士さんが在籍しているというのも大きかったです。

入園してみて、やはり情報の共有も交換も密に行われていますし、勉強会なども熱心で、公立園を選んでよかったなと思います。

いくつかある公立園の中で、第一希望は自然いっぱいの山の中にある保育園に決めました。

そして、無事第一希望の保育園に入園が叶いました。

本当にありがたかったし、うれしかったです。

見学に行ったところはどこも良い保育園ばかりでしたが、最後の決め手は直感に従いました。

どんなに条件が良くてもピンと来ないとなかなか決められない性分なのですが、園長先生のお話と園の雰囲気でここだ!と、特に迷いはありませんでした。

実際に入園してみて、担任の先生たちが息子のために常にベターな保育を探してくださる熱心な姿、園長先生はじめ園全体で息子のことを見守り、保護者の保育方針を最大限考慮してくださる園の姿勢に、この園を選んでよかったと心底感じています。

特にわたしは、はつらつとした担任の先生たちが大好きです。

毎日の様子を伝えてくださるだけでなく、息子の様子を見て「◯◯はこうしたら良いと思うんだけどお母さんどう思います?」という問いかけが頻繁にあり、息子との時間をきちんと寄り添って過ごしてくださっている感じがして、送迎の時にお話しするのが毎日本当に楽しみです。

息子もちゃんと人を見ていて、好みの先生を見分けたりするんですが、毎日とても楽しそうに登園するので、早速好きな先生を見つけたのかな?

保育園も先生たちも大好きなんだと思います。

入園するまでドキドキだった保育園は、うれしい驚きの連続でした。

今は、本当に保育園に通わせてよかった!と思っています。

親子3人で入園式にも参加しました

この土地で素晴らしい療育に出会えたこと、そして今の保育園での楽しい生活に心から感謝していますが、東京に住んでいた時は、保育園の入園自体が難しく弁護士を雇って行政と闘ったママさんがいらっしゃったり、そこをクリアしても待機児童の多さや人員不足によりどうしても入園までたどり着けないケースをいくつも聞いていました。

そもそも療育にいたっては週に1回、ひどいところでは月に1回受けられれば良い方というところもあり…日々の生活の中での療育が一番大切で、社会全体で育むべき子どもに与える環境としてどうなのか、それって療育と言えるのかと疑問に思っていました。

きっとそれぞれの自治体も、持てる限りのリソースを元に一所懸命に動いてくださっているんだと思います。

でも住む場所によってこうも違いが出てしまうのは、財政的な問題だったり需要過多な状況だったり、仕方がないとは言え、もうひと頑張り改善の余地はある気がしています。

療育園を卒園した話~あっと言う間に6月💦

バタバタしているうちにあっっという間に療育の卒園式を終え、保育園の入園式も終え、なんと4歳の誕生日まで終わってしまいました…!

季節はすっかり初夏ですね。

この間に次男はというと、ずり這いをはじめ、腰が座って立派にお座りをし、下の歯が2本生えて、つかまり立ちをし、はいはいを通り越して高ばいに夢中。

最近は5秒くらいは手を離してひとりでグラグラ立って、キャッキャと笑っています。

あかちゃんの成長早い!

そして、常に目標物に向かって最短距離で突進するので、お兄ちゃんに多大な被害が…頭の先から爪先まで問答無用に乗り掛かられて迷惑そうです。


毎日そこそこ過酷な試練にもまれてます。

そうでなくてもすぐに近くに寄っていって、立つ時の取っ掛かりとしてお兄ちゃんを”使う”ので、ものすごくハラハラします。

うつぶせの練習をするお兄ちゃんにぺたん…
からのたっち。で、ドヤ顔。

Ngチューブはもう何度抜かれたか…

単純に怒るとニヤニヤ。なので、あえて興味ないフリをしたりお兄ちゃんが痛いからダメよ〜と言い聞かせたり。良い対処方法がまだ見つかりません💦

嫌な顔しながらもクールな兄は、「もーやめてよ」「はいはい、ちょっと落ち着いて」という感じです。

嵐が過ぎ去るのをじっと待ちます。

怒りません。

めちゃくちゃ優しいお兄ちゃんです。

あ、危険な時はちゃんと引き離していますのでご心配なく。

このかわいい貴重な時期を大切に記憶に焼き付けておきたいと思うんですが、日々の暴君ぶりにそれどころじゃない疲労感も抱えつつ…かわいい💕とゲッソリ…😱が波状攻撃のように襲ってきます。

運動量の多さと体感の強さと探検好きは、長男の小さい頃にソックリ。立派なミニ怪獣です。
そして、お兄ちゃん好き。

バタバタと忙しなく過ぎていく日々です。

最近立て続けに、ブログ読んでます!という方に3人もお会いしたので(こんな超マイナーブログを…ありがたいです。涙)、ちょっと気合入れて書かねばと必死で尻を叩いています。

毎日、中身の濃い記事を更新していらっしゃるブロガーさん、本当尊敬します✨


まずは3月の話から。

2歳から通っていた療育の卒園式がありました。

とても居心地のいい療育園で、就学まで通うことも考えたのですが、この春から保育園に通うことを決めたのです。

受傷後ちょうど1年で通い始めて1年9ヶ月、あっという間でしたが療育のおかげで大きく成長しました。

思い返してみるとその間の息子の変化の大きさにも驚きますし、何よりわたしがどれだけ救われたかわかりません。

通い始めの頃は、週に2日の母子通園でした。

最初のアメリカとメキシコでの治療から帰ってきたばかりで、まだ仰向けのままほとんど自分では動かず、ほぼ無表情で感情を表すこともなく…わたしたち家族以外からしてみたら、”寝たきりで意思表示のない子”でした。

それが通い始めて半年で、大きな声をどんどん出すようになり、表情がゆるむことも出てくるように。

初めての制作で絵の具を手につけて画用紙に塗った時、ほんの少し手を動かしてくれるだけでしたが、ものすごく感動しました。

感じているのは、冷たくてベタっとした絵の具かもしれないし、パキッとした黄色の色味かもしれないし、画用紙のザラザラかもしれない。

さわさわとほんの少しだけ動く手のひらに、息子のわくわくが表れているようで、あぁ、この子も「感じることができるんだなぁ」と感動しました。

そして、保育士さんたちによる言葉のシャワー。

親でも感情を読み解くのが難しい子を、そんなこと関係なくとにかく話しかける。

注意深く反応を見て、また話しかけて、表情筋が少し動くだけでちゃんとそれを拾い上げて次のコミュニケーションに繋げてくださる細やかさは、日々の生活に疲れている親には真似できないレベルでした。

もっとたくさん通わせたい!と何度も要望を出して、人員の調整も大変だったと思いますが、半年後には週4~5日の母子通園させていただけることになりました。

本当にありがたかったです。

そこからの3ヶ月間は、次男の妊娠初期でキツいつわりの時期でもあり、息子の楽しそうな顔を見るためとはいえ、なかなか大変でした。

でも気持ちの変化が表情にかなり表れるようになって、「うれしい」「楽しい」「嫌い」「不満」がわかるようになってきました。

口をゆるませて笑顔の片鱗すら見せてくれるようになりました。

好きな先生、抱っこしてほしい先生、甘えられる先生という好みも出てきました。

新年度からは週1日の母子通園に週4日の単独通園に(コロナの影響で母子通園が週2日から1日に)。

バス登園デビューもしました。

4月に初めて笑い声をあげて笑ってからは、意思表示の面は加速度的に伸びていきました。

7月から12月までは出産のため、週5日の単独通園になり、バスで楽しそうに登園していく姿に頼もしさを感じました。

そして、1月に久しぶりに親子で登園して驚いたのが、お友だちとの関係性を息子なりに作れていたこと。

お友だちの様子やすることをじっと見て反応したり、手を繋いでもらっていたり、子どもたち同士での感情のやりとりをするようになっていたのです。

そして、保育士さんたちに自分の気持ちをより豊かに表現するようになっていました。

この様子を見て、保育園でもなんとかやっていけるのではないかと安心したんです。

療育で出していただけるおいしいご飯で、食べるのもずいぶん上手に早くなりました。

たくさんの制作の中で感覚の好みも出てきました。

体を使った大きな遊びでは2~3回かけてじっくり味わって、楽しい楽しくないを判断するようになりました。

斜面すべりで少しずつ体を動かして自分で滑れた時の得意げな顔や、スウィングで振り幅を大きくすると楽しそうに声をあげて足をバタバタする様子。

挙げればキリがないですが、外からの刺激をたくさん感じることができるようになり、それを表現できるようになりました。

それもこれも先生方の丁寧な療育のおかげです。

感謝してもしきれません。

当初の表情がほとんど見えない頃から、「こんなこと考えているのかな」と様子を窺いながら、息子に接してくださっていました。

それがわたしには衝撃でした。

親ですら、怪我をしてから1年間ほとんど感情の見えない息子を相手にして、コミュニケーションを諦めてしまっているところがありました。

子どもがこちらの言うことすることを理解しているかのように接し話しかけること、療育の基本だと思いますが、親が24時間それをし続けるのは不可能に近いです。

何かアクションを起こす時必ず声がけをしたり、問いかけて反応を見て接するのが、子どもの発達に必要なことなのはわかっていますが、反応がほとんど返ってこない相手にそれをやり続けるのは難しいからです。

無力感と徒労感で、こちらのやる気が全く働かない時もあります。

それを療育の場で、先生たちが細やかに実践してくださっているのを見て、とてつもない安心感がありました。

たとえ家で気持ちが折れてしまっても、療育がある。

息子の気持ちに応えてくれる場所があれば気持ちを表現することを諦めないだろうし、心の拠り所になるはず、と。

先生たちはこっそり、「お母さん、保育士は仕事だからできるのよ。家で24時間子どもと向き合っているお母さんが一番大変で、一番子どものことを思っているんだから、頑張りすぎなくていい。療育に来ている時は、全部任せればいいからね。」と。

本当に救われました。

事あるごとに無理しないでねと声をかけていただきました。

ここに引っ越してきてよかったなと心から思います。

母子ともに心折れずに日々健康に過ごせたのは、療育のおかげです。

そんな心の拠り所だった療育園を卒園しました。

最後の挨拶ではボロボロ泣きっぱなしで、恥ずかしい姿を晒してしまいましたが、そのくらい思い溢れる濃い1年9ヶ月でした。

これからもここで結んだ縁を大切にしたいと思います。

心から、ありがとうございました!

大好きだよ。

東日本大震災から10年。

わたしは10年前、東京でテレビ番組制作の仕事をしていました。

美術館で展示作業中の撮影で、ガラスケースの大きな一枚ガラスがバタンバタンと次々に倒れ、足が震えて立てないほどの大きな揺れでした。

「立つなよ!伏せてろ!」と怒鳴ったベテランカメラマンは、即座に大きなカメラを肩に担いで回していて、わたしはというと腰が抜けてしまって、江戸時代から残る貴重な美術品が傷付きでもしないかという心配やら、これだけの揺れで外は一体どうなっているんだろうという恐怖で、頭がいっぱいだった気がします。

今思えば、美術館の免震構造で実際よりも揺れを大きく感じていたのかもしれません。

てっきり関東が震源地だと思っていたわたしは、ネット情報でこれが東北で起こった地震だと知って血の気が引いたのを覚えています。

施設の安全確認のためしばらく外に出られず、被災地の津波の映像も見ていませんでした。

でも、これは大変なことになった、日本はこれからどうなってしまうんだろうと。

先輩ディレクターは、その日の夜から現地入りしました。

局のヘリは全て出払っていたため、LPガスのタクシーを都内で探し回り、途中で補充できるようにLPガスをトランクに何本も積んで、東北に向かったのです。

その後の被災地から入ってくる取材映像はつらいものばかりでした。

取材先から送られてくる大量のテープをデジタイズする作業を会社でもしていたのですが、テレビではとても放送できないものもたくさんあり…

わたしは震災2ヶ月後に現地入りしましたが、あの光景を実際に見た時の衝撃はなんと表現していいのかわかりません。

人間の営みが一瞬で破壊された残骸が、人の生活の息づかいがしていたであろう、家や車や船や工場の残骸が、圧倒的な無機物としてただ積み上がっていました。

そして、匂い。

漁港の町では魚の腐った匂いが、火災があった街では油と焦げた匂いが、瓦礫の底を漂っていました。

被災者と亡くなった方々、そして津波にのまれた町の深い深い悲しみ。

あまりの虚無感に、ただ呆然とするしかありませんでした。

大きすぎる災害に忘れがちになってしまいますが、被災者一人一人に悲劇があり、一人一人がつらさを抱えています。

これは何も災害の中だけで起こることではなく、わたしたちが生きる日常でも同じことで、一人一人に物語があり、一人一人がつらさを抱えています。

息子の受傷で思い知ったことがあります。

あれほど壮絶に感じていた絶望感は、少しずつですが癒えます。

暗闇に光は差します。

でも、大切な人を想ったときに感じる後悔の念はなくなりません。

“あの時ああしていればよかった、こうしていればよかった、守れなかった助けられなかった、本当にごめんなさい。”

後悔や謝っても謝りきれない気持ちは、いつまでも整理がつかないのです。

時間は解決してくれそうにありません。

一緒に生きていかなくてはなりません。

だからわたしは、できる限りですが、人に寄り添って生きていたいと思います。

人それぞれに物語があり、人それぞれがつらさを抱えているなら、

災害あるなし関係なく、ささやかな日々の中で、せめて身近にいる人の気持ちには寄り添っていたいと思います。

そして、日常はあまりにも簡単にこの手から滑り落ちてしまうものだから、夫や息子たちには「大好きだよ」と、毎日耳タコなくらい伝えたいと思います。

東日本大震災から10年。

つらい思いをされた方々が、心穏やかに過ごせますように。

ピーン!

ちょっとハラハラもするけれど、
兄弟で戯れあっている姿が最高にかわいい。

寝返りを完璧にマスターし、ゴロンゴロンと自在に動き回り、気づくとお兄ちゃんにくっついている次男。

毎日癒されてます。

今日は週1回のPTリハビリの日。

スパイダーという器具を使ってリハビリしたんですが、見てください!このピーンと素晴らしく伸びた姿勢!!

PTさんは麻痺の強い右足を意識させているだけで、
他は全く触っていません。

え、待ってこんなに背高かったの⁉️

え、足もなんか長い…‼️

スパイダーは強力なゴムで四方から支えることで重力を軽減し、その中で色々な姿勢制御を学ぶ器具ですが、見ての通り上半身や足の支えはありません。

なので、スパイダーで姿勢保持をするためには、自分でコントロールする能力が必要なんです。

今まで息子には難しすぎてできなかったのに…平然と、さも当たり前のようにスパイダーで立った息子の姿に、びっっっくりしました。

色々試して行きついたルーティン、毎週2回のJKAレッスンと週1回の訪問リハ(オステオパシーとボイタ)とPTリハ、そして毎日のケアの積み重ねで、少しずつ少しずつ繋がってきている息子のからだ。

ゴロンとひと塊だった全身が、少しずつ分化してバラバラに使えるようになってきて(まだまだ未分化なところもある)、

そして、うつぶせの状態で手足をバタバタさせるときには、足の動きが上半身まで突き抜けるような伝わり方がほんの少しだけ見えるようになっていました。

数ヶ月単位で見ても、三歩進めば二歩下がるで、もどかしいくらいの変化。

でも、今日のスパイダーでの姿は、明らかな成長を感じました。

低い位置でお歌でリズムを取りながら
ビョンビョンビョン…からの、
左足にグイッと力を入れて、ピーン!
首を振ったり、手を支えにバランスを取って、
数秒間キープしてます。

午前中で元気だったというのもありますが、何度も何度もグッと足を踏ん張って、立ちたい!という気持ちが前面に出ていた息子。

これまでは、足で踏ん張ることはできても、上半身はグニャ〜と崩れてしまい、PTさんの支えなしには立てませんでした。↓

上半身をがっちり支えてもらっていました。

それが今日は足の踏ん張りが上半身まで伝わっているのが、はっきりわかりました。

うつぶせでの下半身から上半身に突き抜ける感じ、繋がっている感覚が、立つときにもしっかり見えたんです。

目線は高く顔を上げ、両手両腕で支えて、バランスを取ろうとしているのがわかりました。

いつもは丸くなってしまう背中をスッと伸展して、首にも力みなく自由に動かします。

グッと足を踏ん張って立つ、それを何度も何度も繰り返す息子。

夢中で声を出しながら、ものすごく楽しそう。

少し足がゆるんだところから…もう1回ピーン!

すごい、すごい✨と思わず大声を上げてしまいました。

最近、股関節の亜脱臼を気にして、ほとんど立たせていなかったので、余計にうれしかったのかも。

今日はスパイダーで真っ直ぐ立てた記念日。

小さな成長を積み上げてきた成果です。

得意げな顔をして楽しそうにグッと立つ姿に、うれしさと誇らしさで胸がいっぱいになりました😊