大好きだよ。

東日本大震災から10年。

わたしは10年前、東京でテレビ番組制作の仕事をしていました。

美術館で展示作業中の撮影で、ガラスケースの大きな一枚ガラスがバタンバタンと次々に倒れ、足が震えて立てないほどの大きな揺れでした。

「立つなよ!伏せてろ!」と怒鳴ったベテランカメラマンは、即座に大きなカメラを肩に担いで回していて、わたしはというと腰が抜けてしまって、江戸時代から残る貴重な美術品が傷付きでもしないかという心配やら、これだけの揺れで外は一体どうなっているんだろうという恐怖で、頭がいっぱいだった気がします。

今思えば、美術館の免震構造で実際よりも揺れを大きく感じていたのかもしれません。

てっきり関東が震源地だと思っていたわたしは、ネット情報でこれが東北で起こった地震だと知って血の気が引いたのを覚えています。

施設の安全確認のためしばらく外に出られず、被災地の津波の映像も見ていませんでした。

でも、これは大変なことになった、日本はこれからどうなってしまうんだろうと。

先輩ディレクターは、その日の夜から現地入りしました。

局のヘリは全て出払っていたため、LPガスのタクシーを都内で探し回り、途中で補充できるようにLPガスをトランクに何本も積んで、東北に向かったのです。

その後の被災地から入ってくる取材映像はつらいものばかりでした。

取材先から送られてくる大量のテープをデジタイズする作業を会社でもしていたのですが、テレビではとても放送できないものもたくさんあり…

わたしは震災2ヶ月後に現地入りしましたが、あの光景を実際に見た時の衝撃はなんと表現していいのかわかりません。

人間の営みが一瞬で破壊された残骸が、人の生活の息づかいがしていたであろう、家や車や船や工場の残骸が、圧倒的な無機物としてただ積み上がっていました。

そして、匂い。

漁港の町では魚の腐った匂いが、火災があった街では油と焦げた匂いが、瓦礫の底を漂っていました。

被災者と亡くなった方々、そして津波にのまれた町の深い深い悲しみ。

あまりの虚無感に、ただ呆然とするしかありませんでした。

大きすぎる災害に忘れがちになってしまいますが、被災者一人一人に悲劇があり、一人一人がつらさを抱えています。

これは何も災害の中だけで起こることではなく、わたしたちが生きる日常でも同じことで、一人一人に物語があり、一人一人がつらさを抱えています。

息子の受傷で思い知ったことがあります。

あれほど壮絶に感じていた絶望感は、少しずつですが癒えます。

暗闇に光は差します。

でも、大切な人を想ったときに感じる後悔の念はなくなりません。

“あの時ああしていればよかった、こうしていればよかった、守れなかった助けられなかった、本当にごめんなさい。”

後悔や謝っても謝りきれない気持ちは、いつまでも整理がつかないのです。

時間は解決してくれそうにありません。

一緒に生きていかなくてはなりません。

だからわたしは、できる限りですが、人に寄り添って生きていたいと思います。

人それぞれに物語があり、人それぞれがつらさを抱えているなら、

災害あるなし関係なく、ささやかな日々の中で、せめて身近にいる人の気持ちには寄り添っていたいと思います。

そして、日常はあまりにも簡単にこの手から滑り落ちてしまうものだから、夫や息子たちには「大好きだよ」と、毎日耳タコなくらい伝えたいと思います。

東日本大震災から10年。

つらい思いをされた方々が、心穏やかに過ごせますように。