タイムマシン

今、息子の寝顔を見ていて、本当にかわいくてかわいくてたまりません。

ケガをする前はやんちゃなところに手を焼いて、そんなことも忘れてしまうほど、振り回されることもありました。

でも、こうして考える時間がたっぷりあると、やっぱり、涙が出てくるほどかわいい。

 

息子がこの世に産まれてきた時、

「もうタイムマシンはいらないな」

と思いました。

 

わたしは小さな頃から達成欲が強い人間で、大人になったら自分は何者かになるんだと、ずっと思っていました。

いつも現状に物足りなさを感じて、今より先の、将来のことばかり考えていた気がします。

でも、大人になってみても、何者かになる気配は全然なく。

学んだのは、”今を生きる”ということでした。

当たり前のことですが、未来を妄想しても、今を懸命に生きなければその未来はないことを、大人になって思い知りました。

浮ついた過去を後悔して、本気でやり直したいと思いました。

面白い仕事もしていたし、毎日刺激的で充実していたけれど、それでも過去をやり直したいと毎日思っていました。

でも、息子を産んで、そのモヤモヤが一瞬で晴れたんです。

長い間の呪縛から解き放たれたような気すらしました。

もうタイムマシンができても、過去に戻らなくていいやと思いました。

戻れても、戻りたくない。

大きな後悔をやり直すより、不完全でも息子がいるこの人生がいいと、掛け値なしに本気で思いました。

子どもの威力ってすごいです。

 

 

でも、正直、今はもう一度、タイムマシンが欲しい。

今までで一番、喉から手が出るほど、タイムマシンが欲しい。

あの時、やり直せるならやり直したいことが、たくさんあります。

息子がこんな目に合わないためなら、何だってします。

 

でも、それは絶対に叶いません。

だから、過去を後悔するよりも、息子の将来を心配するよりも、”今を生きよう”と思います。

今できる限りのことを、わたしたち夫婦が考えて行動することが、家族の未来に繋がるんだということを、肝に命じながら。

あの日

息子の受傷の原因については未だ調査中で、ここに書くことはできません。

 

わたしが駆けつけた時には、息子は嘔吐を繰り返していて、目はぐるぐるあらぬ方向を向き、ほとんど意識をなくした姿になっていました。

その時点では特に出血などもなかったため、どこが悪いかもわからず、でも命に関わる状態だということは明らかでした。

頭部外傷だとわかっていたら、なるべく動かさないようにして救急車を呼ぶなり、もっと良い対処の仕方があったと思います。

後悔してもしきれません。

でもあの時はとにかくパニック状態で、一秒でも早く病院に行かなければと、息子を抱えてタクシーに乗り、体を揺すり名前を呼び続けました。

腕の中で、どんどん動かなくなっていく息子の体。

顔面蒼白で、時々発作のように手足がググッと不自然に伸びていました。

わたしは怖くて怖くて、全身の震えが止まりませんでした。

今でも思い出すと涙が出てきます。

かわいいわが子のあんな姿は、二度と見たくありません。

息子を抱えて大声で叫びながら病院に駆け込み、あっという間に処置室は戦場のようになりました。

ベッドの上で真っ白な顔で痙攣している息子を、たくさんの人が取り囲んでいました。

その光景はまるで現実味がなく。

世界が足元から崩れていくようでした。

 

負けず嫌いで、夢中になったら一直線で、同じ月齢の子と比べても運動量が格段に多かった息子。

あんなに元気に遊んでいたのに。

朝、泣きながら「ママ、ママ」と手を伸ばしていたのに、振り払うように離れてしまったことを、本当に後悔しました。

どんなに痛かっただろう。

どんなに怖かっただろう。

想像すると頭がおかしくなりそうでした。

もしも、これが避けられないことだったなら、せめてすぐ側にいてあげたかった。

息子が、今にも抱っこをせがんで、足元にくっついてきそうな気がしました。

ふと目をあげると、そのあたりをハイハイしたり、よちよち歩いたり、そんな幻想が頭を離れませんでした。

こうしていたら、ああしていたら、何かが変わっていたかもしれない。

 

息子の身に起こったことは、世間的にどう判断されても、母であるわたしの責任です。

何があっても、守ってあげなければいけなかった。

誰になぐさめられても、それは違うよと言われても、一生自分のことは許せません。

でも、どんなに思っても、息子に代わってあげることはできません。

謝っても謝っても、謝りきれません。

ごめんね。

ごめんね。

ごめんね。

 

 

息子を病院に運び込んだのが、夕方の6時頃。

CTを撮り、頭蓋骨骨折と広範囲にわたる硬膜下血腫と判明し、すぐに緊急手術へ。

手術中に何があってもおかしくないと言われていたので、手術の成功を知って、初めて安堵し膝から崩れ落ちました。

しかし、その後、脳の膨張が激しく、バイタルも非常に不安定な状態になり、「命が助かるかわからない。例え助かっても重い障害が残る」と医師から告げられました。

朝までに、本当にいろいろなことがありました。

怪我の原因についても即座に調査が入ったため、思い出したくないほど、精神的につらい時間でした。

 

あの日はちょうど夫が出張で日本にいて、息子のそばにいたのはわたし一人。

最初に運ばれた処置室の外から、パニックのまま夫に電話しましたが、急に息子が命の危機にあると聞かされ、訳が分からず本当に怖かっただろうと思います。

即座にチケットを取り、その日の深夜便で帰ってきてくれました。

朝、夫の顔を見て、心の底からほっとしたのを覚えています。

 

 

あの日、

今まで何の疑いもなくそこにあった当たり前の世界が、一瞬で消え去りました。

もしも時間を巻き戻せるなら、と思わない日はありません。

でも、今のこの現実も、紛れもなく、かけがえのない息子との日々です。

少しずつ、私たち家族は新しい時間を生きています。