受傷から4年。

息子が怪我をしてから、4年が経ちました。

つらく苦しい出来事は忘れるようにできているんだな、と強く実感します。

人間の脳は賢いです。

そして、ブログを書いておいて良かったと思うことが多々あります。

詳細はどんどん忘れていってしまうものだから。

でも、将来いつか息子自身に聞かれたときに、ちゃんと答えてあげなきゃと思っているんですよね。

自分がどうしてこんな体になったのか。

うまく体を使えない、うまくしゃべれないのはなぜなのか。

疑問に思う日がくると思うんですよね。

わたしたち夫婦がずっと公表できていないことがあります。

それは、息子の怪我の理由です。

プライベートで聞かれたら答えてきましたが、自ら声を大にして言うことは避けてきました。

なぜなら、書かないでと言われていたから。

書いたら不利になると。

海外で受傷した息子ですが、当時逮捕者が出ています。

未だに起訴不起訴が決まっていません。

おそらく当事者のわたしたちが帰国してしまったこと、さらにコロナ禍で国内がバタバタしたこと、色々な理由があると思います。

親の責任として、将来息子に説明ができるように、しっかりとけじめをつけるために、事の顛末を見届けなければ、と心のどこかでいつも引っかかっています。

正直、思い出したくないというのが本音です。

息子がどんなに辛く苦しく痛い目にあっていたか、向き合う自信がない。

もし、そもそも自分たちが原因だとしたら、受け止める自信がない。

そして何より、人を恨んだり、憎んだり、糾弾することに時間を使いたくない。

目の前にかわいい我が子がいて、脳の発達のためにやるべきことが山ほどあって、事件そのものに向き合う時間がもったいなく思えています。

でも、いつかちゃんとしなきゃと思い続けています。

心の中にずっと引っかかって、澱のようになって暗い影を落としています。

息子には知る権利がありますから。

久しぶりに現地の警察に問い合わせてみることにします。

2020年に思うこと。

2020年、私たち現代に生きる全ての人の価値観がひっくり返るくらいの、激動の1年でしたね。

地下鉄サリン事件、阪神・淡路大震災、9.11、東日本大震災…その他にもたくさん、37年間生きてきた間に歴史的大事件、大災害ありましたが、全世界的に価値観がひっくり返るなんて、一生に一度あるかないかなんじゃないかな~と思ったりするわけです。


そんな中、今年我が家には次男が誕生しました。

日に日に体が大きくなって、ニコニコ笑顔と大きな泣き声で、家の中がとても賑やかです。

一昨日から”ま”の発音を突然練習し始めて、時々まぐれで「んまんま~マッマ」なんてニコニコしながら言うので、こちらのテンションはもう爆上げ。笑

何とかして”ママ”って言ってもらいたくて、「ママだよ~マッマ、だよ~」と必死で教えていたら、それをジーッと見ては、なんと真似っこみたいなことまでする!

そこでハッと気づくわけです。

そうだよね、子どもって親のすることや問いかけに、これだけ興味を持って反応するんだった…最近上の子にどんなふうに接してたっけ。。。

息子が怪我をしてから、最初の頃は反応が極端になくて、必死でわずかな表情の変化から感情を読み取ろうとしていました。

例え反応がなくても、双方向のコミュニケーションがあるかのように会話をしていたんです。

それが少しずつ感情を見せてくれるようになって、今年ついに笑うようにまでなって、でもやっぱり反応が鈍い息子に対して、一方通行のコミュニケーションばかりになっていたなと。

最近、療育やヘルパーさんと過ごす時間はとても楽しそうなのに、ママに対しての反応が薄かったのは、わたしが伝えるだけ伝えて、息子の反応を待ってあげられていなかったからじゃないか。

特に下の子が生まれてから、気がつけば息子とのおしゃべりの時間がなくなっていました。

きっと感情をちゃんと受け取ってくれないママと一緒にいるのは、楽しくなかったんじゃないかと思います。

そして、最近息子の近くにいると、どこからともなく左手がやってきてさわさわさわ…やたらとママのことを触りたがるツンデレ甘えん坊さん。

下の子を見ていると、本当によくわかります。

子どもはこんなにママのことを見て、応えてくれているのに、それを無視されたらすごく悲しいだろうな。寂しいだろうな。気づいてほしかったんだろうな、と。

猛反省です。

2021年は、一緒にいてうれしい、楽しいと思ってもらえるママになります。

がんばろう。


このコロナ禍で、色々な悲惨な話を聞きます。

生きるって本当に大変。

生きるって、つらい。

改めて実感する1年でした。

そういう話を聞くたびに、息子が怪我をして目覚めなかった時のことを思い出して、あの時痛くて辛くて苦しいのに生き抜いてくれて本当にありがとう、と思います。

   ●受傷当時の話→あの日

   ●脳死宣告された話→脳死宣告

私たち夫婦を生かすために、何とかギリギリのところから戻ってきてくれたんじゃないかとさえ思います。

最近はそばにいるのが当たり前すぎて時々そのことを忘れてしまうけど、突然ふっと思い出しては、もしここに息子がいなかったらと思うと血の気が引きます。

さんまさんの言う”生きてるだけで丸儲け”、本当にその通りです。

今は大切な人が生きていてくれるだけで、ありがとうです。

だから、この苦しい時期、憎き敵を宥めながら、いなしながら、なんとかやり過ごしたいと思います。

価値観の変化だけを見てみれば、悪いことばかりではないはずです。

2021年は、どうか癒しの年になりますように。

臓器提供について考えたこと

( ↓ 11/21に書いた記事ですが、数日遅れでアップします)

今日で受傷から5ヶ月。

脳死宣告のその後の話。

 

息子の脳死宣告があった時、真っ白な頭の中にふと浮かんだのは臓器提供のことでした。

先生たちからも話がありましたが、その時には心に決めていました。

ミーティングが終わって、たくさん泣いて、ぼーっとした頭のまま、夫に「臓器提供がしたい」と伝えました。

 

我が子が脳死宣告をされて、即座にそんなことを考えるなんて、と思われるかもしれません。

もちろん脳死は到底受け入れられるものではなく、信じたくもありませんでした。

でも、先生たちが宣告にいたるまであらゆる可能性を探っていたのも知っていたし、99%間違いないと言われて、まさかそれが本当に間違っているなんて思わなかったのです。

信じたくはない、でも、もしも息子がいなくなってしまうなら、身体の一部でもこの世に存在していてほしい。

“息子がどこかで生きている”という現実が欲しい。

すがるような気持ちでした。

 

夫の返事は、YES。

わたしがそれを望むならそうしよう、と言ってくれました。

後々聞いてみると、夫の純粋な判断であれば、NOだったそうです。

色々な思いがあったと思います。

でも、夫はその場でYESと即答してくれました。

わたしが息子のことについての望みを叶えることが、夫が望むことだったからです。

私の判断に100%同意するし、それは心からの賛成だからと言ってくれました。

 

ただ、あの時のわたしにはそれが少し苦しかった。

 

 

“臓器提供したい”と夫に伝えた気持ちに少しの迷いもありませんでしたが、時間が経つにつれ、当たり前のことに思い至りました。

“息子はこのことをどう思うんだろう。”

まだ意思決定できない幼い息子のことを決めるのは、全て親である私たちの責任です。

でも、息子の身体は息子のものなのに、その一部だけでも存在していてほしいなんて、親のエゴなんじゃないか。

そもそも「臓器提供したい」なんて、わたしが言っていいことなんだろうか。

 

日本には、6歳未満の臓器提供は8例しかありませんでした。(2018年11月現在は9例)

改正移植法が2010年に施行されてからもう随分経つのに、症例が少ないのには理由があるはずです。

そして、いざ臓器の摘出手術になった時に、息子は本当に痛みを感じないのか。

臓器移植のコーディネーターには脳死状態では痛みは一切ないと説明されたけれど、それに反対の立場を取っている医師も一定数以上いることを知りました。

もしも痛みを感じていたらと思うと、心底ゾッとしました。

これだけ苦しんでいるのに、まだ苦しませることになるのかと。

当たり前ですが、摘出手術には立ち会えません。

どんな最期を迎えても、待つしかありません。

怪我をした時、痛くて怖くて、息子がママに一番そばにいてほしかった時にいてあげられなかったのに、命が尽きる瞬間すら手を握っていてあげられないのか。

 

でも、臓器提供すれば助かる命がたくさんあることも、どんなに望んでも望んでも手に入れられずに苦しんでいる人がいることも知っています。

ここで命が終わる息子が、何かを成し遂げる、この世で生きた証を残す、最初で最後のチャンスかもしれない。

息子の人生について、生まれてからそれまでのこと、消えかけている未来のこと、全てに思いを馳せました。

母としてどうすべきで、何が正解なのか。

 

それぞれの宗教の見解にも目を通しました。

仏教、神道、キリスト教、イスラム教、ヒンドゥー教。

思春期に自分の存在意義に悩み、あらゆる宗教や哲学関係の本を読み漁っていた時期がありましたが、その時と全く同じことをしていました。

わたしたち日本人は、一般的に冠婚葬祭以外で信仰を意識して生きているわけではないけれど、自分の手に負える範囲を超えた瞬間に、人智の及ばぬ何かに目が向くんだなと実感しました。

臓器提供を強く推奨している宗教もあれば、禁忌としている宗教もありました。

 

わたしは自分がどうしたいのか、全くわからなくなりました。

 

夫に「やっぱりやめる」というと「じゃあ、やめよう」と言い、「やっぱりやりたい」と言うと「いいよ、やろう」と言いました。

わたしの望みに100%同意するという姿勢は崩れませんでした。

夫の気持ちは、十分すぎるほどわかっていました。

 

袋小路にはまり、実家の父にも相談しました。

「1ミリでも迷いがあるなら、やめた方がいい」

きっと息子が生まれるまでのわたしなら、そのアドバイスに従っていたと思います。

今まで何かを決断するときには、父ならどう判断するかという思考が常に頭の片隅にあったからです。

でも、このことについては別でした。

いっそのこと誰かに決めてもらいたいと思いましたが、息子のことはわたしが決めなければいけないんだとわかっていました。

そして、きっとどちらを決断したとしても、後悔はするんだと思います。

 

悲しみに溺れそうになりながら、連日連夜考え続けて、数時間毎に意見が変わるわたしを見かねた夫が言いました。

「般若心経を読んでみようよ」

何かヒントがあるかもしれない。

聖書でもコーランでもよかったのかもしれませんが、馴染みのない中でも一番馴染みある般若心経を一緒に読みました。

そのままでは理解できないので、現代語訳と解説を、何度も何度も読み返しました。

頭はすっきりしました。

ようやく決断できたと思っていました。

 

 

でも結局、意思とは別にぐるぐると思考は回り続け、脳死宣告が撤回される最後の最後まで、決断はできませんでした。

そして4日後の朝、夫が触り続けてい左耳の刺激に、わずかに息子が反応したのです。

「脳死は撤回されても、厳しい状態には変わりありません。意識が戻らないかもしれない、寝たきりで動けないかもしれない。普通に生きられるとは思わないでください。」

わたしたちが喜びすぎないようにという配慮だったと思います。

その言葉には少なからず肩を落としましたが、実際言われていた状態よりはずっと良くなって、できないことへの落胆よりも、進歩の喜びの方が大きいです。

 

 

わたしは家族が思い悩まなくていいように、臓器提供の意思表示をしました。

今でも、あの4日間考え続けたことへの答えは出ていません。

脳死宣告

息子が受傷して4ヶ月です。

日本はすっかり秋になりました。

毎日が一瞬で過ぎていきます。

息子の回復にできるだけ良いことをと情報収集し、リハビリに励み、日々を駆け抜けている感じがします。

いつかこの生活が落ち着いて、日常取り戻し、今の幸運を忘れてしまう日が来るかもしれません。

自分の不幸を嘆く日が来るかもしれません。

その時のために、書いておこうと思います。

 

 

息子が脳死宣告をされたのは6月29日、受傷してから9日目のことでした。

こんなに早く宣告をされるとは夢にも思っておらず(夫はミーティングがあると聞かされた時点で覚悟していたそうです)、今後の話をするから話し合う場を設けたいと言われたわたしは、一字一句逃してはいけないと、iPhoneの録音機能をオンにしていました。

まだ、聞き直すこともできず、消すこともできていません。

録音は、全部で26分37秒。

あの時の気持ちを思い出しました。

 

ミーティングルームに入ると、先生たちが6〜7人並び、とても重苦しい雰囲気。

前置きは短く、ICUの担当医が、

We believe he is brain dead.

と言ったのを覚えています。

そして、脳神経科の医師が、その判断にいたるまでの検査結果など、あらゆる可能性を探った経緯を説明して、

99%、息子さんは脳死です

と言ったのです。

そして、脳死判定テストの日にちは私たちが決められること、テストは2回行われ間違いがないよう確認されること、2回目のテストが終わった時点が法的な死亡時刻であること、納得するまで待つけれどそれまでに息子の命が先に尽きるかもしれないこと、臓器提供という道があることを説明されました。

私たちは意外と冷静で、本当にもう手立てはないのか、可能性は1%もないのかと聞き、残念ながらありません、という答えをもらったように思います。

その場に並んだ他の科の先生たちも、もうこれ以上治療の余地はありません、という答えでした。

それ以上言葉もなく、ミーティングは終了しました。

 

 

先生たちが部屋を出て行った後、夫婦で顔を見合わせて泣きましたが、頭は放心状態で何を考えていたか、あまり覚えていません。

 

 

正直、それまでの経過でかなり厳しいことは理解していました。

それまでの1週間ちょっと、ベッド脇から離れずに息子の様子を見ていたので、その可能性を考えなかったわけではありませんでした。

血圧や心拍数は恐ろしいほど乱高下し、ICPという頭蓋内圧の値は平均値をはるかに超える高い数字が長期間続いていました。

痰が鼻や口につまらないように吸引する時や体の清拭の度に、体が悲鳴を上げているかのように、ICPが急上昇しました。

頭蓋骨を外して脳圧を逃しているはずの頭は膨張し、体位変換も数センチずつしかできないため、床ずれで後頭部に血が滲んでいました。

瞳孔はほぼ開ききって、光への反応はなく、その他の生体反応も全くなし。

丸一日モニターしていた脳波も振れなかったのです。

先生たちも毎日何度も様子を見にきては、体の反応をテストしていて、その度に何か変化があるか聞いたものの、答えはいつも同じ。

状態に変化はありません。

 

触る隙間がないほどに点滴や管で覆われた体を指先で撫でながら、なんとか目覚めてほしいと耳元で声をかけ続けていました。

でも、身体中パンパンに腫れ上がって、人相もわからなくなってしまった息子。

その姿がかわいそうで、かわいそうで、胸が潰れそうでした。

早くこの痛みや苦しみを取り去ってあげたい。

だから、脳死を宣告され、恐れていたことが現実になってしまって、とめどなく涙は溢れましたが、でも、この苦しみから息子は解放されるんだとも思ったのです。

 

 

つらかったのは、脳死と宣告されて、住んでいたコンドミニアムに初めてシャワーを浴びに帰ったときでした。

息子が元気に部屋で遊ぶ姿が、まるで幻想のように浮かびました。

クローゼットの扉を何度も開け閉めしながらいたずらっ子のように笑う姿が浮かんで、ヨチヨチと覚えたてのあんよでリビングを歩き回る姿が浮かんで、テラスから見える電車を指差して熱心に話しかけてくる姿が浮かんで、どうしようもなく悲しい気持ちになりました。

廊下で、夫が堰を切ったように泣き始めました。

家中に響き渡る大声で、床を転げ回るように泣いていました。

わたしたちは悲しくて、悲しくて、悲しくて、息子がこの世からいなくなることが耐えられず。

溺れそうになっていました。

 

 

まだ息子は笑わないけれど、楽しそうな表情を見せてくれることがあります。

ママとはわからないかもしれないけれど、抱っこをすれば手でギュッと掴んでくれるようになりました。

命は、なんて尊いんだろうと思います。

あの時、もう生きていけないなと一瞬でも思ったこと。

反省しています。

誰しもが誰かの息子や娘であり、誰かの大切な存在であり、ただ生きていかなければならないことを、今では知っているからです。

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大きな目標

窓の外から凶暴な風の音がします。

大きな災害につながりませんように。

 

 

息子の脳死が撤回された後、夫婦で今後の大きな目標を立てました。

どんなに苦労しても叶えようと決めた目標です。

 

①お金持ちになること

初っ端から小学生みたいな目標ですが。

今回、お金の備えの大切さについては嫌という程学びました。

息子に十分な治療やリハビリ、療育を受けさせたいと思った時に、お金はあればあるほど役に立ちます。

リハビリや療育は将来の息子のabilityに直結します。

できるだけ良い環境を与えてあげたい。

脳の再生治療に関しては臨床まで進んでいるものもあり、非常に現実的になってきた今、金銭的な余裕があれば叶うこともあるかもしれません。

親のエゴかもしれませんが、息子には、息子の世界で、息子の能力で享受できる幸せを100%味わわせてあげたいのです。

通常の発達が望めない中、これを叶えるのにお金は大事な仲間になってくれるはずです。

そして、私たちの心の余裕は息子のためにとても重要。

目標実現のために着実な作戦を練ろうと思います。

 

②息子に最高の治療を受けさせること

先ほども書いた通り、治療だけでなく、リハビリや療育に関して、できるだけのことをしてあげたいと考えています。

そのために情報収集を怠らないこと。

受傷直後から何か方法はないかと、英語の論文まで引っ張り出して探しています。

外科的治療で今できることはなくなってしまいましたが、試してみたい治療法はまだあります。

日本では前例のないことで説得に時間がかかりそうですが、関係する医療機関に相談しているところです。

これに関しては、また詳しく書けるようになったら、書きたいと思います。

 

また、脳の再生医療に関しては可能性がかなりあると思っています。

臍帯血を使った臨床試験は、脳性まひや低酸素脳症に対してすでに行われていますし、他のアプローチをしている再生医療の中には、外傷性脳損傷を対象にしているものも見つけました。

早く研究が進んでほしい。

できれば、臨床試験に参加したい。

今回の入院先で一緒になったママさんが、再生医療についてかなり詳しく調べていて、海外で行われているClinical Trialにアプライしたと聞き、すっかり触発されました。

さっそく全世界で再生医療に限らず、外傷性脳損傷を対象に臨床試験の希望者を募集している研究機関がないか調べてみました。

ClinicalTrials.govCenterWatchという臨床試験を集めたポータルサイトでキーワード検索すると、出てきたのは200件超。

しらみつぶしに探しましたが、小児の外傷性脳損傷の募集はほとんどなく、その中でも息子の条件に当てはまるものは皆無でした。

残念。

どうしても頭でっかちになりがちな状況ですが、肝心の息子が置いてきぼりにならないように、彼自身の様子を見ながらベストな方法を引き続き探していきたいと思います。

 

③海外にもう一度住むこと

またもや小学生みたいな目標。笑

今回の帰国に関して、夫としてはかなり悔しい部分もあったようです。

もちろん息子のためにベストな選択をすることに戸惑いもなく躊躇もありませんでしたが、自分が好きで出た海外から志半ばで帰ってきたことに”やり残した感”はどうしてもあります。

もちろん息子の療育問題、それに伴う金銭問題、そして息子が言葉を理解するようになったときには言語の問題も出てきますし、越えなくてはいけないハードルが山ほどあります。

おそらく以前とは全く違う形になりますが、この目標も叶えるつもりです。

一度崩れてしまった家族計画を一から立て直すのは、意外となかなか楽しい作業です。

失くしたものはあるけれど、新たな可能性も発見します。

 

④息子の居場所を作ること

障がいを持った子どもの親が直面する”親亡き後問題”。

この問題に関しては、ディレクターとして詳しく取材したことがありました。

なかなか世間一般には共感を得にくい問題でもあり、その時は残念ながら番組では簡単にしか取り上げられませんでしたが、取材をしてみて、制度の脆弱さと、現実の残酷さに愕然としました。

この子を置いて死ねない、という切実な訴えをする親御さんたちにも会ってきましたが、当事者になってみて、いま心から理解できます。

その感情がどんなものなのか、身にしみてわかります。

現実を考えれば考えるほど、恐ろしくて身震いするほどです。

 

最近は、慈善活動としてではなく、経済活動の一部として障がい者雇用を組み込むことに成功している企業、もしくはそれを目指している志ある企業も増えてきました。

実際に取材させていただいたところもいくつかあり、有能な会社が多いことに希望を持っています。

今後、継続して障がいを持つ人たちの受け皿として機能させるためには、やはり営利団体である必要があると思うのです。

そういう会社がひとつでも多く増えることは、自然と障がいを持つ人たちの社会的立場を向上させることにもつながります。

「津久井やまゆり園」のような、やるせなく悲しい事件も記憶に新しいですが、息子を”人”として社会の中で存在させたいと思うのは、親としての当たり前の願いです。

障がいの程度は人それぞれです。

生きてそこに存在しているだけで奇跡的で、社会の中で役割を見出すことすら難しいかもしれない。

一方で、できることはたくさんあるのに、それを発揮する場所がないかもしれない。

将来、息子の身体・知的能力がどこまでのレベルに達するか、どんな形で社会に参加できるのかは不明ですが、そのレベルにあわせた”何か”を見つけてあげたい。

そして、営利団体として利益を十分に生み出す”息子の居場所”を作りたい。

それが結果的に、社会貢献に少しでもつながればと思っています。

途方もない目標ではありますが、私たち夫婦の使命です。