受傷から62日: 右手の動きの変化

息子の脳は特に左脳のダメージが大きく、欠落状態にあります。

つまり、左脳がない状態。

そのため神経がクロスした右半身は、機能的な回復は難しいと言われています。

でも、受傷後1ヶ月あたりから少しずつ右腕も上下に動かすようになって、将来的な回復に少しだけ希望を持っていたのですが…

日本に帰ってきてから、脳神経の先生に詳しく聞いたところ、この動きは息子の脳の状態からして矛盾はないそうなのです。

ざっくり言うと、もともと脳は根元の方から順番に発達が進むらしく、産まれた直後は生命維持を担当する脳幹部分だけで体を動かしているのだとか。

つまり、左脳がなくても、脳幹が生きている息子が右手右足を動かすのは、産まれたての赤ちゃんがバタバタ手足を動かすのと一緒。

今後も意思をともなう動きはあまり期待できない、と。

(この先生、専門分野なだけあって知識量がすごくて、純粋に脳の不思議を楽しんでいる学者的なところがあって、私は好きです。)

まぁ、そうだろうなと落胆しつつ、麻痺している右側の感覚も戻してあげたいと暇があればもみもみ、マッサージを繰り返しています。

 

すると、2〜3日前から、風邪をひいてネブライザー(※吸入療法に使われる超音波噴霧器。耳鼻咽喉科に行くと大体マスクを着けて吸入しますよね、アレです。)でモクモクさせていたところ、それが不快だったらしく、マスクを押さえつけてきたのです。

右手で。

今まで左手は胃管(※ミルクを摂取するためのチューブ。鼻から通しているので、頰の上でテープでとめています)を取ろうと顔のあたりに手をやったりという動きはありましたが、右手を使ったのは初めて。

たまたまかなーと思っていましたが、今日もネブライザーの最中に、イヤだ〜!とばかりにグイグイ手をマスクに押し付けてきました。

右手で避けられないとわかると、なんと両手で!

その仕草がかわいくて笑いました。

この調子で、少しでも右手でできる動作が増えるとうれしいなと思います。

あの日

息子の受傷の原因については未だ調査中で、ここに書くことはできません。

 

わたしが駆けつけた時には、息子は嘔吐を繰り返していて、目はぐるぐるあらぬ方向を向き、ほとんど意識をなくした姿になっていました。

その時点では特に出血などもなかったため、どこが悪いかもわからず、でも命に関わる状態だということは明らかでした。

頭部外傷だとわかっていたら、なるべく動かさないようにして救急車を呼ぶなり、もっと良い対処の仕方があったと思います。

後悔してもしきれません。

でもあの時はとにかくパニック状態で、一秒でも早く病院に行かなければと、息子を抱えてタクシーに乗り、体を揺すり名前を呼び続けました。

腕の中で、どんどん動かなくなっていく息子の体。

顔面蒼白で、時々発作のように手足がググッと不自然に伸びていました。

わたしは怖くて怖くて、全身の震えが止まりませんでした。

今でも思い出すと涙が出てきます。

かわいいわが子のあんな姿は、二度と見たくありません。

息子を抱えて大声で叫びながら病院に駆け込み、あっという間に処置室は戦場のようになりました。

ベッドの上で真っ白な顔で痙攣している息子を、たくさんの人が取り囲んでいました。

その光景はまるで現実味がなく。

世界が足元から崩れていくようでした。

 

負けず嫌いで、夢中になったら一直線で、同じ月齢の子と比べても運動量が格段に多かった息子。

あんなに元気に遊んでいたのに。

朝、泣きながら「ママ、ママ」と手を伸ばしていたのに、振り払うように離れてしまったことを、本当に後悔しました。

どんなに痛かっただろう。

どんなに怖かっただろう。

想像すると頭がおかしくなりそうでした。

もしも、これが避けられないことだったなら、せめてすぐ側にいてあげたかった。

息子が、今にも抱っこをせがんで、足元にくっついてきそうな気がしました。

ふと目をあげると、そのあたりをハイハイしたり、よちよち歩いたり、そんな幻想が頭を離れませんでした。

こうしていたら、ああしていたら、何かが変わっていたかもしれない。

 

息子の身に起こったことは、世間的にどう判断されても、母であるわたしの責任です。

何があっても、守ってあげなければいけなかった。

誰になぐさめられても、それは違うよと言われても、一生自分のことは許せません。

でも、どんなに思っても、息子に代わってあげることはできません。

謝っても謝っても、謝りきれません。

ごめんね。

ごめんね。

ごめんね。

 

 

息子を病院に運び込んだのが、夕方の6時頃。

CTを撮り、頭蓋骨骨折と広範囲にわたる硬膜下血腫と判明し、すぐに緊急手術へ。

手術中に何があってもおかしくないと言われていたので、手術の成功を知って、初めて安堵し膝から崩れ落ちました。

しかし、その後、脳の膨張が激しく、バイタルも非常に不安定な状態になり、「命が助かるかわからない。例え助かっても重い障害が残る」と医師から告げられました。

朝までに、本当にいろいろなことがありました。

怪我の原因についても即座に調査が入ったため、思い出したくないほど、精神的につらい時間でした。

 

あの日はちょうど夫が出張で日本にいて、息子のそばにいたのはわたし一人。

最初に運ばれた処置室の外から、パニックのまま夫に電話しましたが、急に息子が命の危機にあると聞かされ、訳が分からず本当に怖かっただろうと思います。

即座にチケットを取り、その日の深夜便で帰ってきてくれました。

朝、夫の顔を見て、心の底からほっとしたのを覚えています。

 

 

あの日、

今まで何の疑いもなくそこにあった当たり前の世界が、一瞬で消え去りました。

もしも時間を巻き戻せるなら、と思わない日はありません。

でも、今のこの現実も、紛れもなく、かけがえのない息子との日々です。

少しずつ、私たち家族は新しい時間を生きています。

受傷から2ヶ月間の経過

当時のメモを元にしています。

6/21(木)

  • 夕方、左側頭部外傷により救急へ搬送。頭蓋骨骨折と左硬膜下血腫で緊急手術を行う
  • 手術は成功し、薬で鎮静状態に。しかし、術後左脳の腫れが酷く、医師に「助かっても重い障害が残る」と告げられる
  • ICP(頭蓋内圧)25〜45の状態が4日間ほど続く ※脳の腫れのこと。ICP5〜15が正常値

6/25(月)

  • ICPが20以下まで下がる

6/26(火)

  • 少しずつ鎮静の薬を抜き、脳波の測定を開始
  • MRIを撮影。左脳が壊滅的な状態、左脳に圧迫されて脳幹と右脳上部も損傷していることが分かる

6/29(金)

  • 鎮静から覚めたと判断されるが、脳幹反応、脳波の波形の変化が全くなく、医師から脳死と告げられる
  • 7/3の夫の母・姉の到着を待って、7/4頃に脳死テストを受けると決める

7/3(火)

  • 左耳を触ると血圧や心拍が上昇、口が少しだけ動くのを確認
  • 脳死が撤回される
  • 医師からは「脳死ではないが、意識が戻るかわからない。生きてはいるがほとんど動けないと思ってください」
  • 左手は握るような動作、左足も反応あり、右手右足もかすかに反応あり

7/4(水)

  • まばたきをする
  • 人工呼吸器は装着しているが、自発呼吸を始めたのを確認

7/5(木)

  • 右目の開きが大きくなり、寝起きのタイミングがわかるように(左目は閉じたまま)
  • 自発呼吸安定がさらに改善
  • 声に反応するような様子を見せる

7/8 (日)

  • 人工呼吸器を外し、経過良好

7/9(月)

  • ジストニアの症状がかなり強く出る
  • リハビリ開始
  • 両手足が伸長したまま固まらないように、関節を曲げた状態で固定するスプリントを装着(帰国まで4時間ON、4時間OFFで装着し続けた)

7/11(水)

  • ICUを出て、High dependency wardに移る
  • 意識はうっすらとありそう
  • 目は見えていない感じ
  • 耳は大きな音には反応する
  • 初めて小さな声で泣いた

7/14(土)

  • 点滴のための注射針を全て抜いた。体につながれた管は、ミルクを入れる胃管のみ

7/18(水)

  • クラウドファンディングを立ち上げる

7/19(木)

  • 初めて左目をうっすら開けた
  • 午前中にFacebookでクラウドファンディングを告知

7/20(金)

  • STのリハビリで、ベビースナックをモグモグ。水の飲み込みはまだ苦手
  • 大きな声で泣く

7/21(金)

  • クラウドファンディング達成

7/22(土)

  • 夜中のぐずりが激しく、ほとんど眠れていない

7/24(月)

  • 再手術で、頭蓋骨を元に戻した。術前、頭の形が歪になるかも言われていたが、無事きれいな形に戻る

7/25(水)

  • 相変わらず機嫌が悪い日が続いている。全体的に具合が悪そう

7/26(木)

  • 受け入れをお願いしていた日本の病院と全く話が進まないので、別ルートで新たな病院を当たる

7/27(金)

  • 2つ目の病院に、早速受け入れOKをもらう
  • リハビリでは体の左側がよく動くように
  • 体のこわばり、緊張がきつく、左肘と左足首が曲がらない

7/28(土)

  • 寝ぼけて体を伸ばした。全身運動!

8/1(水)

  • 顔を近づけると、左手で触りたがる→出来なくて不機嫌に。触らせてあげると落ち着く

8/5(日)

  • 深夜便でシンガポールから医療搬送。シンガポールの医師が付き添い。眠くなる薬を分けて投与してくれたおかげでよく寝てくれたが、バシネットでは2時間ほどしか寝てくれず、あとは抱っこ寝で乗り切る

8/6(月)

  • 朝、新宿にある病院に到着
  • 酸素飽和度をモニターし始めて、寝入りに酸素が50台まで落ちるように(※90〜100程度が正常値)。苦しくなって、泣いて100まで自力で戻す

8/7(火)

  • 時々、左目がかなりぱっちり開くが、左右の黒目が受傷前よりも離れている

8/16(木)

  • シンガポールで使っていた薬を切り替えたり、量の調節をした途端に呼吸の問題がほとんどなくなる。(医療搬送の1週間ほど前から酸素はモニターしなくなっていたので、ずっと機嫌が悪かったのは呼吸が原因だった…?)

はじめまして、のご挨拶

1歳3ヶ月の息子Toyaが海外で受傷し、今日でちょうど2ヶ月が経ちました。

頭蓋骨骨折と左硬膜下血腫の重症で、一時は脳死と告げられたところからの回復でした。

海外での手術や治療、入院にかかる費用はとんでもなく高額です。

それを支払うために貯金や親の援助や保険など、頼れるものは全て頼りましたが、日々積もっていく請求額は自分たちの力では払いきれないほどに膨れ上がっていました。

もちろん海外に住んでいるからといって、日本政府が何か手助けしてくれることはありません。

困り果てて、恥を忍んで現地の日本大使館まで行きましたが、何かサポートを得られるわけもなく…

全て自己責任の世界。

わかっているつもりでしたが、全く準備が足りなかった。

息子が生きるためにはお金がいる、でも情けないことに支払い能力がない…悩んだ末に行ったのがクラウドファンディングでした。

https://give.asia/campaign/help-revived-baby-toya-fight-on

国内外の友人たちから私たちのことを知らない方々まで、本当にたくさんの方に助けていただき、なんとか無事に日本に帰ってくることができました。

それが、2週間ほど前のことです。

ここは、息子に心を寄せていただいた皆様に、その後の様子をお知らせする場にできたらと思っています。

 

また、受傷直後、パニックで心細く不安な気持ちでいたときに助けられたのは、ブログ記事でした。

息子のために今後どのように動いたらいいか、一番参考になったのは、同じような境遇にあわれたママたちの生の声です。

このようなことは起こらないことが一番ですが、このブログが今後同じような経験をされる方の力になれますように。

 

そして、日々成長を見せてくれている息子の様子を忘れないためにも、記録を残していこうと思います。

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