リハビリ親子入院について

親子入院の日程決まりました。

(※母親が行うことが多いので母子入院とも言いますが、親子入院で通します)

早くても10月と言われていたのが、なんと9月20日から行けることに!

予想以上に早くて嬉しいやら、焦るやら。

でも待ちがかなり長いと聞いていたので、本当にありがたいです。

 

そもそも、日本でリハビリ目的の親子入院ができる病院、施設は限られています。

 

東京> 心身障害児総合医療療育センター (通称、小茂根(こもね)と呼ばれています)

・リハビリ手法はボバース法

・入院は2ヶ月程度

・就学前までの歩けない子が対象で、入院は一度だけ

大阪> 森ノ宮病院  (10月からボバース記念病院に小児部門が移管されるそうです)

・日本にボバース法を持ち込んだ最初の病院

・入院は4〜8週間で、その後の通院も推奨している

・期間をあけて、繰り返しの入院が可能

神奈川> 神奈川リハビリテーション病院

・特に後天性脳障害のリハビリに力を入れている

・入院期間は2ヶ月程度。

・1年後くらいに、4週間ほどの評価入院が可能。

この3つがおそらく最も有名で、全国から患者が集まってくるところ。

 

他にも調べると、

○長野>信濃医療福祉センター

○千葉>千葉リハビリテーション病院

○大阪> 大手前整肢学園(ボイタ法)

○静岡>静岡医療福祉センター(ボイタ法)

○京都>聖ヨゼフ医療福祉センター(ボイタ法)

このあたりも有名なようです。

北海道や九州などにも、検索するといくつか見つけることができます。

※基本的に、住んでいる地域の近くでないと受け入れてもらうのが難しいです。でも、急性期明けや何か事情があれば加味して検討してもらえるので、まずは相談してみるのが一番。

※ボバース法、ボイタ法については、また別記事で書きます。

 

わたしはこの中から、いくつかの病院に並行して連絡を取っています。

どこも実際に入院できるまで時間がかかると言われていたので、とりあえず行きたい病院には全て連絡し、病院同士で紹介状を送るなど医療連携を取ってもらって、その中で早めに決まったところに行こうと決めていました。

今回幸運なことに一つ目の病院に診察へ行ったところで転院できることが決まったので、他の病院の診察や入院については、次の病院の退院後にまた行うことに。

連絡には病院のソーシャルワーカーさんを通しているところもあれば、成り行き上個人でやりとりしているところもありますが、全てソーシャルワーカーさんに報告して協力してもらっています。

やはり医療機関で直接やりとりしてもらうと話が早いこともあるし、どこまでをお任せするかは慎重な見極めが必要だと思いました。

全部をお任せすると、どうしても病院同士の付き合いで筋も通さなければならず、話が進まなかったり、後退してしまう場合もあるからです。(ソーシャルワーカーさんも、先方の事情とこちらの希望で、板挟みになってしまうことも。)

ただ、ソーシャルワーカーさんに素直な気持ちを話して全面的に味方になってもらうのは、とても重要な気がします。

 

後天性の脳障害の場合は特に、受傷後半年〜1年以内の回復の見込みがあるうちは、継続して集中できる環境でリハビリを受けさせてあげたいと、親なら誰しもが考えると思います。

でも、今回親子入院について調べていると、色々と高い壁にぶつかりました。(もう少し大きければ、単独入院という選択肢が増えますが)

現状日本ではそのような環境を整えるのは至難のワザのようです。

親子入院は希望者が多くて待ちが長いというのはもちろん、一度別の病院で入院をすると、その後すぐに受け入れてくれる病院がほとんどないのです。

前の入院から半年ほど時間をおいてから検討してくださいと言われることが多く、かと言って、同じ病院には大体2ヶ月以上は入院させてくれません。

まだまだ伸びしろがあっても、後は地元で日常生活を送りながら、リハビリ環境を整えてそこで…となってしまうわけです。

何しろ、急性期のように命に関わるわけではなく、後ろには長い待機の列ができているわけですから。

 

しかし、なぜ親子入院のハシゴがこれほど嫌われてしまうのか。

医療機関側の話を聞くと、そもそも母子入院の目的は、子どもの集中リハビリのためだけではなく、日常生活にスムーズに移行するための母親への育児や生活指導だということ。

また、日常生活をしてみた上で新たな課題を見つけ、それを改善するために次の入院をすべきだということ。

そして、病院によって、主義や流儀ややり方が違って、リハビリ入院を立て続けに行うことで、患者自身が混乱してしまい、悪い結果を生むこともあること。

確かに、納得できます。

 

わたし自身も、次の病院を無事退院後、リハビリの継続方法について、どのように考えるかは全く未知数です。

もしかしたら、一度自宅で落ち着いてリハビリ環境を整えた方がいいと思うかもしれない。

でも、通院や訪問リハビリで週に何度かリハビリを行なったとしても、やはり入院して毎日行うのとでは密度が違います。

自宅で家族の手で続けるというのも、限界がある。

やっぱりまだ物足りない、まだ集中してリハビリしたいと思った時に、その後次の入院に向けて即座に動けるように可能性を残すことは、親として当然のことだと思っています。

後悔しないためにも、そのあたりはうまくやりながら、今は目前に迫った入院のことに集中したいと思います。

 

受傷直後、混乱している中で病院探しなどをされると思いますが、まずは自分で問い合わせてみるとその病院のスタンスや窓口の方の雰囲気がわかるのでオススメです。

 

受傷から80日: 胃管を抜いた!

ついに…!

息子が鼻から入っている胃管を抜きました。

経管でミルクなどの栄養を入れているのですが、そのチューブを自分で鼻から抜いてしまったんです。

読ませていただいているブログだったり、帰国前の病院で友達になった、同じような経管栄養の子どもを持つママ友だったりから、

「胃管を抜いて困っちゃう」

という話は聞いていました。

実際、いろんな対策をしても嫌がって抜いてしまって、入れ直すのは本人が苦しいのでかわいそうで、大変だなとは思っていましたが。

でも、

・胃管を嫌がる感覚を持っている

・手を動かして、チューブまで持っていける

・指をコントロールして、チューブを掴んで抜く

実際に胃管を抜くということは、これだけの過程があるわけで、なんて高度なことができるんだろうと、内心とてもとても羨ましく思っていました。

1ヶ月前は、そんなことができるのはまだまだ先だと思っていました。

それが、少しずつ手が動かせるようになって、顔のあたりまで手を伸ばせるようになって、時々チューブを気にする素振りを見せたりして、この時を今か今かと待っていたんです。

残念ながら、”初めて”は朝の栄養を入れている時で見られなかったのですが、その後また鼻のあたりをイジイジしていて、抜こうとする瞬間はバッチリ目撃しました。

慌てて止めたので抜けるまではいかなかったんですが、とても器用にチューブに指を引っ掛けていて驚きました。

↑写真は、その時の息子。何もしてませんけど、という表情。笑

息子の場合、抜いてしまったのが栄養注入中で、チューブが抜けたことで液体が息子の顔面にかかって大泣きしていたらしく、看護師さんから監督不足を謝られましたが、確かに鼻や口に入って誤嚥や窒息を起こしたら大変です。

大事にならなくてよかった。

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とても危険なので、指をかけていた部分を厳重にとめてもらいました。

また一つ、息子の成長が見れた朝でした。

タイムマシン

今、息子の寝顔を見ていて、本当にかわいくてかわいくてたまりません。

ケガをする前はやんちゃなところに手を焼いて、そんなことも忘れてしまうほど、振り回されることもありました。

でも、こうして考える時間がたっぷりあると、やっぱり、涙が出てくるほどかわいい。

 

息子がこの世に産まれてきた時、

「もうタイムマシンはいらないな」

と思いました。

 

わたしは小さな頃から達成欲が強い人間で、大人になったら自分は何者かになるんだと、ずっと思っていました。

いつも現状に物足りなさを感じて、今より先の、将来のことばかり考えていた気がします。

でも、大人になってみても、何者かになる気配は全然なく。

学んだのは、”今を生きる”ということでした。

当たり前のことですが、未来を妄想しても、今を懸命に生きなければその未来はないことを、大人になって思い知りました。

浮ついた過去を後悔して、本気でやり直したいと思いました。

面白い仕事もしていたし、毎日刺激的で充実していたけれど、それでも過去をやり直したいと毎日思っていました。

でも、息子を産んで、そのモヤモヤが一瞬で晴れたんです。

長い間の呪縛から解き放たれたような気すらしました。

もうタイムマシンができても、過去に戻らなくていいやと思いました。

戻れても、戻りたくない。

大きな後悔をやり直すより、不完全でも息子がいるこの人生がいいと、掛け値なしに本気で思いました。

子どもの威力ってすごいです。

 

 

でも、正直、今はもう一度、タイムマシンが欲しい。

今までで一番、喉から手が出るほど、タイムマシンが欲しい。

あの時、やり直せるならやり直したいことが、たくさんあります。

息子がこんな目に合わないためなら、何だってします。

 

でも、それは絶対に叶いません。

だから、過去を後悔するよりも、息子の将来を心配するよりも、”今を生きよう”と思います。

今できる限りのことを、わたしたち夫婦が考えて行動することが、家族の未来に繋がるんだということを、肝に命じながら。

受傷から77日: おしゃべりが止まらない

↑今日はまぶたが一重。一重の時は夫に瓜二つ。なんとなく口角が上がっているような…最近ぽっちゃりも止まりません。

 

昨日の投稿の中で、泣き声以外の声を出すようになったと書きましたが、実は初めて声を発したのは8月21日(メモってました)。

そこから2週間ちょっとで、かなり変化が出てきました。

何かを伝えたがっているような、訴えかけるような声を出すんです。

単純な、あうあうという音だけでなく。

それは特にリハビリの時に顕著で、体勢を変えたりすると、ものすごい主張のこもった声を出します。

ここ数日で急激に音が増えたような気もしていたんですが、ST(言語療法士)の先生が今日初めてその声を聞いて驚いていました。

ちゃんと音にイントネーションがあって、何かを伝えようと、言葉として喋ろうとしているかのような声を出していましたね、と。

専門の先生にもそう聞こえるとわかって、本当にとても嬉しかったです。

息子は左脳全てがダメージを受けて、欠落状態です。

言語を司ると言われるのが左脳なので、発語はもちろん、そもそも言葉を理解するのかがとても心配。

言葉を理解さえしてくれれば、色々な方法でコミュニケーションも取れると思いますが、そうでない場合どうしたらいいんだろうと。

今は何かを伝えたいかのように見えるだけなので、まだその部分の回復がどれほどなのかは全くわかりませんが、少なくとも言いたいことがある、それを伝えたい!という意思があることがなんとなくわかって、本当によかったです。

最近あうあうとしゃべり出したら、止まりません。

わたしたちに何か文句を言っているような、ブツブツ独り言状態の時もあって、その姿がとてもかわいい。

いつまで見てても飽きないくらいかわいい。

 

そして、笑顔が見たいということを先日書きましたが。

昨日、ほんの少しだけ口角があがったような気がしました。

マッサージして息子とじゃれているとき、名前をたくさん呼んで顔を近づけていたら、なんとなくふわっと。

今日も夫が抱っこして病棟内をお散歩していたら口角を上げていたような気がして、叫んでしまいました。

夫は気づかなかったようですが、気のせいかな、角度のせいかもと気持ちを抑えつつ、やっぱりうれしくてここに書いてしまいました。笑

受傷から76日: 母子入院に向けて

今日、ある病院の診察に行ってきました。

息子はまだ遠出が難しいので、わたし一人で。

全国には入院しながらリハビリに集中して取り組める病院や施設がいくつかあって、その中のひとつです。

都内から電車とバスで2時間、遠かったです。

 

その病院で診察してもらった経緯は、帰国前まで遡るのですが。

息子が海外で怪我をして、命が危険に晒され、パニックになっていた時にひたすらしていたのが、インターネットで情報を集めることでした。

そこで、リハビリを始めるのは急性期から、早ければ早いほどいいと知り、さらに日本にはリハビリをするために母子で入院できる病院があることを知りました。

その中でも、後天性脳損傷のリハビリを強みとしている病院を探して、藁にもすがる思いでメールしたんです。

脳死宣告が覆ったすぐ後のことです。

海外でこういう状況です。帰国のめどは立っていません。今、息子のために何かできることはあるでしょうか、と。

するとすぐに返信があり、まずは焦らず急性期の治療を行ってください、帰国したらできるだけ力になりますと書いてありました。

その病院の小児科部長の先生からでした。

後天性脳損傷の子どもたちのための取り組みをされている、その中心的な先生から直接お返事をいただいたのです。

とてもうれしかったし、安心しました。

その後も何度かやりとりをしましたが、毎回すぐに返信が来て、親身になっていただいている安心感がありました。

今日はその病院に初めて伺って、先生にもお会いすることができました。

先生も病院のスタッフの方も、皆さん大変だったねと労ってくれました。

リハビリ目的の母子入院ができる施設は全国でも数カ所しかなく、需要過多の状態。

診察までも数ヶ月かかって、そのあと1年順番待ちをしてから入院、というのもざらだそうです。

今回は急性期明けということ、比較的ベッドに空きがあるということで、近々入院させてもらうことができそうです。

受傷後半年が回復のピークという脳神経の先生の言葉が気になっていたので、早めにリハビリに集中できる環境が整って、本当によかった。

 

ありがたいことに、リハビリに関しては、今までも恵まれた環境にいさせてもらったと思います。

帰国前の病院は国でトップの子ども病院で、周辺国からも重傷、重体の患者さんが移送されてくるような、その地域の中で一番大きな基幹病院でした。

リハビリも充実していて、まだICUにいた頃に、驚くほど早い段階から開始しました。

しかも結構スパルタ。笑

急性期から、なるべく早く、というわたしたちの希望は、内容も含めて予想以上に叶えられていたと思います。

そこからの引き継ぎもあったからなのか、今の病院でもPT、OT、STのリハビリは毎日あります。

ここの先生たちは次に行くまでのコンディション作りをしましょうというスタンスで、息子の状態に真剣に取り組んでいただいて、とても充実した環境です。

引き続き、リハビリに集中できる環境に移り、少しでも回復に向けて前進できるとうれしいです。

 

回復、といえば、先程友人と話したときのこと。

Toya君、何か大きな改善はある?と聞かれたので、あまりないけどこんなこと出来るようになったよって伝えたら、それはすごいことだよ!と喜んでくれました。

先日の脳神経科の先生の反応といい、本当に息子は日々頑張って成長を見せてくれているんだなと実感します。

身体中ピンピンに緊張し過ぎて、辛そうにしていた頃に比べたら、だいぶリラックスできるようになってきたし、一つ一つは小さいことだけれど、積み重ねれば本当に大きな変化。

備忘のためにも、最近の変化を簡単にあげてみます。

 

・緊張が少なくなって、体がやわらかくなった。手足を持って動かしても緊張することが少なくなった。

・リハビリや沐浴やマッサージなど、体に触れても嫌がる頻度が減った。刺激に慣れたのかな?

・固く握り込んでいた手が開くようになった。オモチャを触ろうと手を開くことも。

・左目は8割開くようになった。リハビリで集中してるときは100%!

・左右の緊張差が少なくなった。以前は特に左側だけピーンと伸びて、緊張すると関節は全く曲がらなかった。

・リハビリにでうつ伏せにするとギャン泣きだったのが、慣れて泣かなくなってきた。リラックスするとそのまま寝る。

・緊張が和らいだことで、両腕の可動域が広がってきた。バンザイができる!

・左手だけでなく、右手も随意的な動きを見せるようになった。特に嫌なものには反応する。

・麻痺のある右側に体が倒れないように保持するのが、少しだけ上手くなったので、ベビーカーに乗れる時間が増えた。

・ベビーカーに上手に乗れるようになってきたので、落ち着いてご飯が食べられるようになった。

・ご飯は朝昼2回食。すりつぶしたピューレ状の初期食なら、1食につき20口くらいは食べられる。

・泣き声以外の声を出すようになった。リハビリの時によく出る。あうあうと何か言いたいみたい。まるで喃語のような。

・リハビリで立位の練習をする時、足をしっかり地につけて立てるようになった。もちろんがっちり補助はあり。

・夜、よく寝てくれるようになった。

 

書き出してみると、まだまだ書ききれないほどたくさんある!

母子入院が叶ったら、今度はどんな進歩が見られるだろうと楽しみです。

わたしたちなりに目標を持って、挑もうと思います。