息子の受傷の原因については未だ調査中で、ここに書くことはできません。
わたしが駆けつけた時には、息子は嘔吐を繰り返していて、目はぐるぐるあらぬ方向を向き、ほとんど意識をなくした姿になっていました。
その時点では特に出血などもなかったため、どこが悪いかもわからず、でも命に関わる状態だということは明らかでした。
頭部外傷だとわかっていたら、なるべく動かさないようにして救急車を呼ぶなり、もっと良い対処の仕方があったと思います。
後悔してもしきれません。
でもあの時はとにかくパニック状態で、一秒でも早く病院に行かなければと、息子を抱えてタクシーに乗り、体を揺すり名前を呼び続けました。
腕の中で、どんどん動かなくなっていく息子の体。
顔面蒼白で、時々発作のように手足がググッと不自然に伸びていました。
わたしは怖くて怖くて、全身の震えが止まりませんでした。
今でも思い出すと涙が出てきます。
かわいいわが子のあんな姿は、二度と見たくありません。
息子を抱えて大声で叫びながら病院に駆け込み、あっという間に処置室は戦場のようになりました。
ベッドの上で真っ白な顔で痙攣している息子を、たくさんの人が取り囲んでいました。
その光景はまるで現実味がなく。
世界が足元から崩れていくようでした。
負けず嫌いで、夢中になったら一直線で、同じ月齢の子と比べても運動量が格段に多かった息子。
あんなに元気に遊んでいたのに。
朝、泣きながら「ママ、ママ」と手を伸ばしていたのに、振り払うように離れてしまったことを、本当に後悔しました。
どんなに痛かっただろう。
どんなに怖かっただろう。
想像すると頭がおかしくなりそうでした。
もしも、これが避けられないことだったなら、せめてすぐ側にいてあげたかった。
息子が、今にも抱っこをせがんで、足元にくっついてきそうな気がしました。
ふと目をあげると、そのあたりをハイハイしたり、よちよち歩いたり、そんな幻想が頭を離れませんでした。
こうしていたら、ああしていたら、何かが変わっていたかもしれない。
息子の身に起こったことは、世間的にどう判断されても、母であるわたしの責任です。
何があっても、守ってあげなければいけなかった。
誰になぐさめられても、それは違うよと言われても、一生自分のことは許せません。
でも、どんなに思っても、息子に代わってあげることはできません。
謝っても謝っても、謝りきれません。
ごめんね。
ごめんね。
ごめんね。
息子を病院に運び込んだのが、夕方の6時頃。
CTを撮り、頭蓋骨骨折と広範囲にわたる硬膜下血腫と判明し、すぐに緊急手術へ。
手術中に何があってもおかしくないと言われていたので、手術の成功を知って、初めて安堵し膝から崩れ落ちました。
しかし、その後、脳の膨張が激しく、バイタルも非常に不安定な状態になり、「命が助かるかわからない。例え助かっても重い障害が残る」と医師から告げられました。
朝までに、本当にいろいろなことがありました。
怪我の原因についても即座に調査が入ったため、思い出したくないほど、精神的につらい時間でした。
あの日はちょうど夫が出張で日本にいて、息子のそばにいたのはわたし一人。
最初に運ばれた処置室の外から、パニックのまま夫に電話しましたが、急に息子が命の危機にあると聞かされ、訳が分からず本当に怖かっただろうと思います。
即座にチケットを取り、その日の深夜便で帰ってきてくれました。
朝、夫の顔を見て、心の底からほっとしたのを覚えています。
あの日、
今まで何の疑いもなくそこにあった当たり前の世界が、一瞬で消え去りました。
もしも時間を巻き戻せるなら、と思わない日はありません。
でも、今のこの現実も、紛れもなく、かけがえのない息子との日々です。
少しずつ、私たち家族は新しい時間を生きています。
