受傷から2ヶ月間の経過

当時のメモを元にしています。

6/21(木)

  • 夕方、左側頭部外傷により救急へ搬送。頭蓋骨骨折と左硬膜下血腫で緊急手術を行う
  • 手術は成功し、薬で鎮静状態に。しかし、術後左脳の腫れが酷く、医師に「助かっても重い障害が残る」と告げられる
  • ICP(頭蓋内圧)25〜45の状態が4日間ほど続く ※脳の腫れのこと。ICP5〜15が正常値

6/25(月)

  • ICPが20以下まで下がる

6/26(火)

  • 少しずつ鎮静の薬を抜き、脳波の測定を開始
  • MRIを撮影。左脳が壊滅的な状態、左脳に圧迫されて脳幹と右脳上部も損傷していることが分かる

6/29(金)

  • 鎮静から覚めたと判断されるが、脳幹反応、脳波の波形の変化が全くなく、医師から脳死と告げられる
  • 7/3の夫の母・姉の到着を待って、7/4頃に脳死テストを受けると決める

7/3(火)

  • 左耳を触ると血圧や心拍が上昇、口が少しだけ動くのを確認
  • 脳死が撤回される
  • 医師からは「脳死ではないが、意識が戻るかわからない。生きてはいるがほとんど動けないと思ってください」
  • 左手は握るような動作、左足も反応あり、右手右足もかすかに反応あり

7/4(水)

  • まばたきをする
  • 人工呼吸器は装着しているが、自発呼吸を始めたのを確認

7/5(木)

  • 右目の開きが大きくなり、寝起きのタイミングがわかるように(左目は閉じたまま)
  • 自発呼吸安定がさらに改善
  • 声に反応するような様子を見せる

7/8 (日)

  • 人工呼吸器を外し、経過良好

7/9(月)

  • ジストニアの症状がかなり強く出る
  • リハビリ開始
  • 両手足が伸長したまま固まらないように、関節を曲げた状態で固定するスプリントを装着(帰国まで4時間ON、4時間OFFで装着し続けた)

7/11(水)

  • ICUを出て、High dependency wardに移る
  • 意識はうっすらとありそう
  • 目は見えていない感じ
  • 耳は大きな音には反応する
  • 初めて小さな声で泣いた

7/14(土)

  • 点滴のための注射針を全て抜いた。体につながれた管は、ミルクを入れる胃管のみ

7/18(水)

  • クラウドファンディングを立ち上げる

7/19(木)

  • 初めて左目をうっすら開けた
  • 午前中にFacebookでクラウドファンディングを告知

7/20(金)

  • STのリハビリで、ベビースナックをモグモグ。水の飲み込みはまだ苦手
  • 大きな声で泣く

7/21(金)

  • クラウドファンディング達成

7/22(土)

  • 夜中のぐずりが激しく、ほとんど眠れていない

7/24(月)

  • 再手術で、頭蓋骨を元に戻した。術前、頭の形が歪になるかも言われていたが、無事きれいな形に戻る

7/25(水)

  • 相変わらず機嫌が悪い日が続いている。全体的に具合が悪そう

7/26(木)

  • 受け入れをお願いしていた日本の病院と全く話が進まないので、別ルートで新たな病院を当たる

7/27(金)

  • 2つ目の病院に、早速受け入れOKをもらう
  • リハビリでは体の左側がよく動くように
  • 体のこわばり、緊張がきつく、左肘と左足首が曲がらない

7/28(土)

  • 寝ぼけて体を伸ばした。全身運動!

8/1(水)

  • 顔を近づけると、左手で触りたがる→出来なくて不機嫌に。触らせてあげると落ち着く

8/5(日)

  • 深夜便でシンガポールから医療搬送。シンガポールの医師が付き添い。眠くなる薬を分けて投与してくれたおかげでよく寝てくれたが、バシネットでは2時間ほどしか寝てくれず、あとは抱っこ寝で乗り切る

8/6(月)

  • 朝、新宿にある病院に到着
  • 酸素飽和度をモニターし始めて、寝入りに酸素が50台まで落ちるように(※90〜100程度が正常値)。苦しくなって、泣いて100まで自力で戻す

8/7(火)

  • 時々、左目がかなりぱっちり開くが、左右の黒目が受傷前よりも離れている

8/16(木)

  • シンガポールで使っていた薬を切り替えたり、量の調節をした途端に呼吸の問題がほとんどなくなる。(医療搬送の1週間ほど前から酸素はモニターしなくなっていたので、ずっと機嫌が悪かったのは呼吸が原因だった…?)

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